よるのしじま

ニートの季節

ゆうやみにて

 

 一日のほとんどを睡眠に費やすようになってきた。やっとの思いで起き上がっても、得体の知れない不安に押し潰されそうになる。そんな毎日だ。

 

 

 

夜の闇はすっかり敵に回って、その静寂は不安定な自分を浮き彫りにさせる。何にもしがみつけずに、何処へも行けずに、波間で揺れる流木のような、そんな気分だ。

 

 

そんな現状を視界に入れまいと、睡眠薬を酒で流し込む。焦点はどこにも合わなくなり世界は曖昧になる。

その代償として、健康は勿論のこと…異常行動をよく起こす。

急に酷く淋しくなり、異常に意欲的になる。ふらふらと縋りつく相手を求めて彷徨い出す。SNSで色んな方面に死にたいやら寂しいやら喚いてみたり、近くに親しい家族が居れば面倒くさく絡みつく。

そうしてぐちゃぐちゃに掻き乱された人間関係の残骸を目の当たりにして、翌朝の僕は「またやったのか…」と、叫びたくなるような羞恥を堪えつつ事後処理をする。…誰も得をしないので閉鎖病棟にでもぶち込んで欲しい。

 

 

そんな日々に変化をつけようと、今日は微睡みの中でブロンを無理やり飲み下した。そのおかげでなんとか日中を布団の外で過ごせている。こうして長々と駄文を書けるのもそのお陰だ。

 

 

たしか前回『現実感が薄れてきた』と言っていたと思う。けれど皮肉にも、日々強まっていく不安がそこから目を逸らさせてくれた。不安のもたらす焦燥感がそのまま現実感へと繋がった。

…それでも、目を逸らしたに過ぎない。いつでも透明な膜はそこに在る。意識するかどうか、それだけの違いでしかない。

 

 

 

希死念慮に関しても同じことだ。どれだけ薄まろうと完全に消えることは無い。生きること、死ぬこと…命に少し目を向ければ、そこには底無しの虚しさが在る。覗き込んでしまえば気が狂いそうなほどに深く。

死に至る病…これは死ぬまで続く苦しみだ。

…だから、この先も生きていこうとするのなら。

症状を和らげる為の…立ち止まった時、足下の虚無から目を逸らすための…『意味』が必要だ。

 

……そんなことを言い始めてもう一年近く経った。相変わらず死に場所は見つかっていない。

 

 

 

 

 

最近、脳…というか、自意識の存在が気持ち悪くて仕方がない。生命とは一体なんだ…、意識とはなんだ…、生きているとはなんだ…?

 

浅学な僕にとって、知性は諸悪の根源だ。気づいたら背負っていた、とてつもなく重たい荷物。

そもそも……自死を試みる時点で人間は生き物として欠陥品だ。…それでもその知性で、生存競争に勝ち残ってきた皮肉。

……この荷物は可能性の塊なのかもしれない。幸福を正しさとするのなら、そのために毒にも薬にもなり得るような。

…結局、視点をずらせば世界はいくらでも変わるんだ。

 

だから…今の僕は。手にしたばかりの空虚な視野に…それに依って一変した世界に。混乱しているだけなのかもしれない。

 

 

 

 

 

そうこうしている内に今日も陽が沈んだ。

気づけば外は薄暗く、夕闇が部屋の中まで入り込んでいる。

こうやって人生も更けていくんだろう。そんな悠久の一瞬を、せめて幸せに終わりたい。できれば脳内麻薬に頼らず、苦しみも幸福だと言い張る様な方法で。

 

 

 

 

じゃあまたいつか('A`)

 

 


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