よるのしじま

ニートの季節

透明な膜とオリオン座

気づけば外は冬だった。

斜め上を見遣ればオリオン座が悠々と、夜に息づいている。

久しぶりの外気は凛と透き通っていて、どこまでも冷たく、清潔だった。

 

 

ソシャゲの通算ログインボーナスで、あっという間に月日が過ぎていたことを思い知らされる。

……だからといって落胆する気も起きない。この頃はどうも現実感が薄くて、何を受けても夢をみている様だ。

 

確か前回のカウンセリングで、このことを心理士に伝えた。

現実感の喪失はいろんな虚しさを引き連れてくる。他者は存在感を奪われ、世界は色味を失くし希薄になる。過去も未来も、うまく意識できなくなる。

それらが虚しくて、息苦しいと伝えた。

 

けれど心理士には『感情が動いているなら現実味があるのでは?』という旨の言葉を返された。

……少し考えたけれど、そうではなくて。

……感情ごと現実すべてを透明な膜で包まれているような、そんな感じがしている。その中で起こる全ては、嘘っぽい。夢とも思えないような夢だ。

 

今こうして言葉を並べてもあまりしっくりこないけれど、その時はこんな表現すら思いつかなくて。返事を考えているうちに30分の対話は終わってしまった。初めてカウンセリングに時間的な物足りなさを感じた。

 

 

 

この透明な膜はどうして生まれたのだろうか。

現実逃避の成れの果て…?

単に世間や他人と関わっていないから…?

とにかく、邪魔だ。停滞を助長するだけでなんの救いにもなっていない。死への恐怖まで薄められては困る。自殺という回答がありえるのなら、先延ばしにしても仕方無い。生きるという選択なら言わずもがな、無駄な停滞はきっと後悔を招く。

 

 

 

最近はブロンの使用が増えている。現実感を取り戻すためだろうか。動けないのが苦痛なんだろうか。よく分からないけれど、起き抜けに白錠を流し込む。これを書く気になったのも、そのおかげだ。

 

まあ何でもいいや…。言葉にできない事もきっとある。人は言葉で思考するというけれど。思考まで至らない、小さな機微も存在する。

 

 

僕が知覚するまで、世界は存在しない。

言葉より先に世界が存在するとしても、膜の中の僕はそれをうまく想像できない。やっぱりただの現実逃避だろうか。

僕が世界で世界が僕で。

それをちゃんと認識するための、世界と思考を繋ぐ楔……言葉すら、今は力を削がれている。

 

だから敢えて、空っぽの言葉を連ねて、まるで現実で生きているかのように振る舞ってみる。“現実っぽい何か”を、言葉として形にしてみる。

『あっという間に月日が過ぎていた』『物足りなさを感じた』

 

 

……そうこうしているうちに離脱症状が始まった。ついさっきの思考に頭が追いつけなくなる。こうなってしまうと、少し前の文を読み返しても『何を言ってるんだこいつは…?』としか思えない。それでも後で過去を知りたくなった時のために、とりあえず記しておく。それがこのブログの意義だ。

 

 

そろそろ本当に頭が混乱してきた…。またいつか('A`)

 

 


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