よるのしじま

ニートの季節

6月の雨とサマー・コンプレックス

相変わらずのうのうと生きている。

 

季節は梅雨へと突入し、蒸し暑い日々が続いている。雨そのものはそんなに嫌いではないけれど、暑さの野郎が同居しやがるととても恨めしい。

 

そんな風にして着実に季節は移ろう。相変わらずの僕を連れ回して。

じりじりと迫る眩しい夏に、どうしても理想の夏を思い描いてしまう。

ゴミ屑みたいな毎日を過ごす僕は今日も天気予報に怯える。

 

突然だけど、僕はここ半年で生まれ変わったような気がしている。というのも、それまで自我らしい自我を持っていなかったから。世界に対して、自分に対して、思考を止めていた。この辺の原因は親の過干渉とか異常な束縛にあったんだけれど、終わった話だからもう良い。

 

問題は、これからどうするかだ。

文字通り生まれ変わった僕は、まず生きるのか死ぬのかから悩まなくちゃいけない。…気づいたら生を押し付けられていたから仕方ない。

だから、まず自分の価値観の正しさを測ろうと思った。なんせすべてを賭けた選択だ。正常な判断を下したい。

気分の変調に伴って視座の乱高下が酷い。

水面下の日々でも、余りに浮き沈みしていては世界観が定まらない。

だからまず、抗うつ剤抗不安薬を断って水底に戻ることにした。そもそも死ぬ覚悟があるのか…それを測るには最低の気分になるのが手っ取り早いはずだ。

 

断薬は5日間が限界だった。途中から夜の重さに耐え切れず酒類の助けも借りたが、つら過ぎた。あの調子で数ヶ月もやれば自殺できるんじゃないだろうか。そう思った。

 

次は水面直下…もしくは水上の視座に立ちたいと思う。もしかしたら、その視界からは希望が見えるかもしれない。「死ぬまで胸を焦がし続けてくれるような美しい何か」が見つかるかもしれない。誰か、でもいい。そんな何かが居たのなら、僕は死ぬまでそれに加担する。勝手に着いて行く。だから導いて欲しい。貴方が信じるものを信じ続けてくれるのなら、貴方が貴方で居てくれるなら、行き先なんてどこだって良い。そこが僕の死に場所だ。

…そんな淡い期待もこめつつ始めた。

 

やる事といっても、薬をちゃんと飲むことと、太陽光を浴びることぐらいだ。

「そもそもこの視座で希望が見えたからって、薬ありきじゃん。一生薬やめらんないじゃん」

確かにその可能性はある。けれど、僕が探しているのは希望という名の救いだ。それは神のようなもので、絶対的なものだ。だから、たとえ僕が水底に沈もうとそれさえあれば生きていける。それ故に救いと呼ぶのだから。

 

 

という訳で途中経過としては、なんだか希死念慮は薄まっているように思う。この視座では死ぬのが怖くて仕方ない。死ぬ覚悟は到底できない。まあこれは水底に期待する事だ。陽のあたる水面直下の仕事は希望を見出すこと…だけれど、まあ見つからない。取り敢えずは気長にやろう。せっかく高い視座に立てるのだから、それも利用して運転免許でも取っておこうか。いつか役に立つかもしれない。

 

 

特に話すこともなくなったから、疑いの話。上下する視座に正しさが見えなくなってくると、こんな事を思う。

「この虚しさも憂鬱も思考も価値観も行動もぜんぶ現実逃避を正当化する為の嘘なんじゃないだろうか」

これは世間の価値観を正しいとした時の考え方だけれど、否定できない。でも認める事も出来ない。そりゃあ陽のあたる水面の生活でこの考えは強まる一方だろう。でもじゃあ水底はどうする。水面下で正しいことでも水底では認められない。底なしの絶望的な虚しさは確かにそこにあったのだから。

なんにせよ世間に溶け込めないニートという身分は劣等感も罪悪感も孤独感も酷くて生きづらい。だから生きていく事になったらちゃんと現実に世間に溶け込んで生きると思う。それが水底の生活であろうと水面下の生活であろうと。

 

 

あともう一つ、自我の話。

ようやく芽生えたとは言ったけれど、

絶えず誰かの影響を受けて成り立っている存在に自我なんてあるのだろうか…

 

「我思う、故に我在り」とも言うけれど、あの我とはちょっと違う。

だって疑っている(思っている)「何か」は居るとしてもその思考自体何かに騙されたものかもしれない。騙された主体は存在している?そんなのを自我と呼べるだろうか。そんなのは存在aでしかない。たとえ他人と比較し存在b,cとか区別されていたとしても、その思考すべて騙されたものならそれらに違いはあるのだろうか。

僕は、僕の選んだすべてを僕の思考の結果だと保証して欲しい。だけどきっとそれは無理だろう。…だから死ぬまでこの自我っぽい何かにすがりつくことにする。自分で人生を選んで歩んでいるという悦に浸りながら。

 

 

…長い文を書いていて眠剤が抜けてしまった。

さっき抗不安薬を飲んだにもかかわらず不安が酷かった。あまりに辛いから眠剤で意識を濁していた。

なまじ視座が上がったばっかりに、罪悪感に負け現実を意識してしまい劣等感から不安が生まれたらしい。きっとこの先はこれとの戦いだろう。もしその辛さに挫けて現実に迎合したとしても、希望を探すことは止めないで欲しい。本来の目的はそれだから。それを見つけられないまま現実に戻ったって、次、水底に沈んだときに何もできない。同じ事の繰り返しだ。それは悲惨だし人生の無駄だから、救いを求めることだけは止めないで欲しい。自分の為に。

 

本当に長くなった。今日はなんだか疲れた。掃除をさっさと済ませて、静かな夜の酩酊に備えたい。今の安らぎは、それだけだから。

 

じゃあまた、どこかで…



f:id:vanirain:20170623165441j:image